ザ・ノンフィクションはアメトークでも特集されたこともある人気ドキュメント番組だ。
結果が予想しずらく、見ていて面白い展開を見せる回も多い。
過去のザ・ノンフィクションの記事はこちらから
そんな中、今回色々な気づきを与えてくれた回が
「新・上京物語 〜夢と別れのスカイツリー〜」
として、北海道苫小牧から行ったことのない東京へ料理人になるために修行に行くという内容だった。
一摩(今回の主人公)は、両親の離婚・父親も8歳の時になくなり、祖父母に育てられたという環境だ。
祖父は一流の料理人であり、その姿を見て何と無く
料理人になりたい
という気持ちを持ったのかもしれない。
ただ、映像を見て違和感を感じたことがあった。
祖父のツテもあり、東京のレストランで修行を始めた時、包丁を握ったことがないというのだ。
料理人を目指す人が包丁を握ったことがないという事実に不自然を感じた。
毎日触れることのある食事を作ったことがないというところも違和感を感じた。
一摩は中学ごろに料理人の夢を持ったというが、
これは、ひとえに
「夢を持ちなさい」
という幻想に囚われた人が陥る状況だと思う。
夢とはどっかから降って湧くことは絶対にない。
降ってくるのではなく、経験を経て、心から湧いてくるのだ。
かくゆう自分も高校の時、進路を決めなければいけない3年の時に、明確なやりたいこともなく、夢を持てなかった人の一人だ。
確かに、やりたいことがないと進路も決まらないので、無理矢理にでも夢を持とうとする。
夢がない奴はダメなやつ
という風潮も悪循環を生んでいる。
一摩も言葉では
「店を持って、一流の料理人になる」
と豪語していた。
しかし、包丁も持ったこともない。
これが確固たる証しだ。
夢を持つことで周りへの体裁を図ったところで終わってしまっているのだ。
修行先は、祖父の知人の店だった。
この口利きも子供にとっては良くないのだと思う。
かなり恵まれた環境であることは確かだが、環境を与えるのではなく、その環境の作り方を親は教えるべきなのだと思う。
転ばないようにするのではなく、転んだときにどう起き上がるかを教える。
基本はこれなのだ。
どの道も極めるには甘い道などない。
一摩は、先輩に毎日怒られ、軽い鬱状態となってしまった。
メンタルを持ち直すことはできなかった。
若い時に経験した方がいいことは、逆境に立った時の
踏ん張る力
だ。
これは、いろいろ経験するしかない。
あとは、それを気づかせてあげる周りの人間も必要だ。
友達も大切だ。
やはり、人間は繋がりがあって初めて成長できる。
新型コロナウィルスにより人との関わりが断たれた今。
人は新たな局面でまた新たな成長を見せるのかもしれない。
夢を持てなかったというある経営者の記事も参照にしてほしい
モッシュやダイブをライブハウスで早くしたい!