10月27日 父親が他界した。
生活を共にした期間がある親族としては、記憶がある限りは8年前の祖母以来だ。
6月上旬にステージ4の大腸癌が見つかってから5ヶ月での他界だ。
享年72歳。
早いといっても寿命といえば寿命だ。
今回、みじかな人の闘病生活から死までの期間を間近で見て、色々と思いを巡らせた5ヶ月だった。
最初の発覚時は、
「マジで」
という感じだったが、先生の話や治療方針などの具体的な話を聞くにつれて、現実を受け止め、心が整理されていく感じだった。
何より、周りではなく本人がどうしたいかを最優先するべきなのだということが改めてわかった。
周りとしては、「元気になって欲しい」と思いがちだが、その前に本人はどう思ってる?
もちろん、死は誰しも一度しか経験をしないわけで、誰しも未知の世界なのだから、その瞬間時代は怖く不安だろう。
ただ、今ここで人生が終わることに対してどれだけ今までやってきたことに納得できたか。
やり残したことはないか。
その問いに、YESを出すことができれば、体の限界に対して無理に抗うことはないのだ。
実際に、父親は2週間の緩和治療を受け静かに他界をした。
口から食べれなくなり、栄養失調による低血糖で昏睡状態になってからは、言葉を交わすことはできなくなった。
その時、客観的に自分自身に問いかけて見た。
「父親の病気が治り、元気になって欲しいか?」
その時の頭の中は
「元気になって欲しいというよりは、本人が痛いとか苦しいとかそのような感情がないようにできるだけケアをしたい」
という感情だった。
仮に奇跡が起こり元気になったとしても、人間は必ず死ぬという事実が必ずあるのだ。
そう考えれば、本人がやり残したことはなかったか、いましたいことは何か、気分は悪くないか。
その部分に焦点を当てて考えてあげたほうが良いという考えにたどり着いた。
実際に父親は、近年 やり残したことはない いつ死んでもいい もう引退だ
という言葉を残していた。
はたから見ても、子供を3人育て、家族 親戚親族 近隣のみなさま
みんな関係は良好であり、他界する5ヶ月前までゴルフをやっていたくらい人生を楽しみきった感じだ。
その電話は夜の12時ごろだった。
そろそろ危ないと。
病院へ着いたのが1時半ごろ。
すでに体は冷たかった。
その時は近いうちに来ると思っていたし、最後の3週間は言葉を交わすことはできなかったが、人の体温の温かみというのは不思議と人を安心させるものなのだとそのとき感じた。
病院に霊柩車が到着したのは朝方5時。
その車を見送った後、自転車で自宅に帰る時の気持ちは本当によくいう心に風穴が開いたような、なんだか空虚感がどことなくあるふわっとした感覚だった。
翌日から葬儀までは、息つく暇もないほど忙しく、悲しむ暇はなかった。
しかし、ふと
「もういないんだよな」
と思うと少ししんみりしてしまう感じだ。
人は2度死ぬと言われている。
1度目はまさに肉体の死
2度目はその人を完全に忘れた時だ。
次は49日。まだまだ故人の思い出話は尽きない!