田中邦衛さんが亡くなった。
きっかけはそこであるが、前からずっと見たいという気持ちのまま見ないできてしまった日本人にとって超重要なドラマ。
「北の国から」
これを、最初のテレビドラマの24話分を見て感じるたことを綴ってみようと思う。
話の始まりは、田中邦衛が前の奥さん(石田あゆみ)と別れ、東京から子供二人を連れて富良野で暮らすところから始まる。
これが、ただ暮らすだけではない。
電気・水道・ガス
全てない場所で暮らすことになるのだ。
この状況を見たとき率直な感想は
”こんな所に住むの絶対いやだな”
だった。
しかし、物語を見ていくと不思議とその暮らしがうらやましくなっていくのだ。
もちろん、テレビドラマでありフィクションなのだから、そのように描くのは当然だ。
だが、自分自身の数十年前の実際の暮らしを思い起こし、今と比べると圧倒的に不便なのにもかかわらず、当時は決して「不便」という感覚は1ミリも湧かなかったと気づかされる。
それは、同じ屋根の下で暮らす家族・一緒に遊ぶ友達が同じ境遇であるというごく当たり前のことを自然と感じているからなのかもしれない。
つまり、同じ環境を
”共有”
しているということだ。
どんなにつらい仕事をしても、同僚と一杯飲んで出来事を共有すれば一瞬でその疲れが吹き飛ぶのと感覚が似ている。
何をするかより「誰とするか」
結局、人間は人とのつながりが一番心に影響を与えるのだ。
世にいう問題行動を起こしてしまう人や、近年多く話に聞く鬱などの病気は、
「何をするか」
ということに重点を置く人生を送ってしまった結果なのかもしれない。
たしかに、スマートフォン・インターネットやSNSはとても便利で、生活になくてはならないものとなった。
しかし、時には便利なものから距離を置き、深く深呼吸をして自分の足元を見る時間も大切に思える。
「物」より「人」を意識すると世界の見え方は大きく変わるはずだ。
北の国からというドラマは年代によって様々な見方ができるドラマなのだと感じた。
また20年後に見ると違った感想が芽生えるかもしれない。
振り返ってばっかりだと老け込むから、振り返りつつ前を向く感じで前向きにいこう!