rthef’s blog

日々生活していく中で「心が揺れた」瞬間を文字にしています。

総合格闘家 堀口恭司が放った言葉が全国民の心の刺さる!

2020年大晦日

 

堀口恭司VS朝倉海

 

がRIZIN26で行われた。

 

 

前回KO負けした相手へのリベンジマッチだ。

 

 

足の怪我もありかなりのプレッシャーもあった事と思う。

 

 

ファイターとして、同じ相手に二度負けることは引退を意味することも少なくない。

 

 

しかし、堀口恭司は強く賢かった。

 

 

冷静に戦略通りの試合展開をし、見事KO勝利をした。

 

 

これがあるから格闘家はやめられないのかもしれない。

 

 

ボクサーもいう

 

試合前は恐怖で逃げ出したくなると。

 

 

そんな境地を乗り越え勝利をした堀口恭二が放った言葉がこちら

 

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今、コロナですごい大変な時期だと思いますけど、

 

しっかり、やることやってれば

 

こうやって、結果残せると思うので、

 

いいことあると思うので、

 

しっかりみんなも頑張ってください。

 

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敗戦から約1年半。

 

インタビューを受ければ敗戦の事と怪我の事について語らなければならず、

 

かなりの長いトンネルだった事だと思う。

 

 

さらに勝利後のインタビューでこのように語っている

 

 

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周りの言葉を聞かず、自分を信じて、チームを信じてやってきたんで。

 

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やっぱり、最終的に最大の敵は自分という事だ。

 

 

周りはきっかけを与えてくれるだけで、最後の最後は自分自身

 

強い気持ちがなければ何も解決しないという事だ。

 

 

最後に力強い言葉も聞けた

 

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まだおわんないっすよ!

 

こっから!こっから!

 

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ゲストもこの言葉に唸った

 

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かっこよすぎる!かっこよすぎる!

 

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逆境に対して、自分がすることを冷静に見極め、それを戦略的に日々こなした末に

 

結果を残す。

 

 

これは本当にかっこよすぎる。

 

 

ビジネスの世界でも同じだ。

 

このコロナの状況下で、することを堀口恭二が教えてくれた。

 

 

やろう!

 

 

 

 

 

 

 

かの有名なパスカルが教えてくれた!人間は何度でも立ち上がれる!

世界の哲学者に人生相談

 

という番組が面白い。

 

その中で、

 

決断をするためのヒント

 

として、パスカルの考えが紹介されていた。

 

 

人の思考として、

 

幾何学の精神

 

繊細の精神

 

この2つが重要だという。

 

 

つまり、

 

論理的な思考と直感的な思考

 

ということなのだという。

 

 

 

有名な言葉がある

 

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人間は考える葦である

 

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人間は弱い存在だが考えることができるから強い

 

という意味だ。

 

 

 

 

さらにこのようにも言っている

 

 

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人間の弱さは それを知る人より

 

それを知らない人たちの方に

 

ずっと良く現れている

 

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弱いことを自覚しているということは良いことだ

 

という意味だ。

 

 

番組MCも

 

もしかしたら、自分の弱さを知っている人が

成功者となっているのかもしれないと。

 

 

 

経験をすればするほど決断が怖くなることもある。

 

しかし、人間はそもそも弱いものであり、完璧ではない。

 

弱くても、考えることで何度でも立ち上がれる。

 

そのその思考は、論理的であり直感的であれ

 

ということだ。

 

 

こんな時代だからこそ、全世界・全人類が決断をすることを恐れている事と思う。

 

そんなとき思い出そう。

 

論理的ばかりの思考にならず、時には直感に頼りながら決断をすればいいのだと!

 

 

きっと大丈夫!

 

やるしかないのだから!

 

 

 

 

 

恒例の年末の体調不良!初めて受けたPCR検査!そこで感じたこと!

12月に入り寒さが本格的になる頃

 

決まって体調を崩すのが毎年の恒例だ。

 

 

去年は、5年ぶりのインフルエンザにかかった。

 

なんと1週間高熱が下がらないというしぶとさだった。

 

いや、自分自身が年を重ねたせいかもしれない。

 

 

そして、今回はというと、高熱は出たのだが、このご時世

インフルエンザとPCRを同時に受けることとなった。

 

コロナ前と後での決定的な違いは、発熱がある人は院内に一歩も踏み入ることができないという現実だった。

 

高熱があるにも関わらずだ。

 

外の風に吹かれながら震えて順番を待った。

 

検査ももちろん非常階段を上って外に設置された検査テントだ。

 

解熱剤をもらうために調剤薬局へ行っても、外から電話をかけ全て外での対応だ。

 

 

このご時世、発熱があるだけでこのような対応になってしまう時代なのだ。

 

 

思い起こせば、3月〜4月の時点ではPCR検査は発熱が4日以上出たらなどの複雑な条件があったはずだ。

 

今は、インフルの検査くらい簡単にできて、しかも翌日には結果が出るという。

 

 

それと同時に、看護師に敬服した。

 

全世界全人類が苦しいのはそうだが、その最前線で絶対に倒れられない看護師は輝いて見えた。

 

 

 

肝心の検査の結果はというと

 

陰性だった。

 

 

陽性だったとしたら、いろいろな所に迷惑がかかるんだろうなあとぼんやり考えていた。

まずは陰性でよかった。

 

 

年月が経つにつれて、陽性だった場合の対応方法が完全マニュアル化してみんなの不安がなくなっていくんだろう。

 

 

それが歴史だ。

 

 

カリスマ美容師も言っていた。

 

「この状況で変われなかったら終わりでしょ」

 

 

そうだ、みんな変われるチャンスなんだ。

 

 

小藪が言ってた

 

「あん時大変やったなあ〜っ

カッカッカ

ってレモンサワー飲みながら笑いたいっすね」

 

 

そうだ。そんな日を待ちわびで生きて行こう!

 

 

鬼滅の刃劇場版無限列車編!伊之助の最後の言葉で何度でも泣ける!

鬼滅の刃

 

ついに

・アニメ

・映画

・コミック

全て見てしまった。

 

 

新型コロナウィルス感染拡大に伴い、家に巣ごもりすことが増えたこともこの映画の大ヒットの原因の一つだと思う。

 

 

一気に溜め込んだストレスが爆発した感じだ。

 

 

 

少年ジャンプでの連載ということもあり、そこまで難しい話はなく、弱い少年が色々なことを経験して大きく強くなっていくという定番のストーリーだ。

 

 

個人的にはルイの前までは退屈な時間が多かった気がする。

 

ルイのところで一気に気持ちが持っていかれた印象だ。

 

 

特に丹次郎の

 

「たとえ!相打ちになったとしても!」

 

がかなり心打たれた。

 

 

自分が死んだとしても相手を倒してネズコを守りたいという一心から出た言葉なんだと思った。

 

 

ここから、映画無限列車編へ行くわけだが、

 

もちろん煉獄のセリフなども感動するわけだが、

 

何と言っても最後の伊之助の言葉で涙が出てしまった。

 

それがこちら

 

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弱気なこと言ってんじゃねえ!

 

なれるかなれねえかなんてくだらねえこと言ってんじゃねえ!

 

信じると言われたら、それに応える事以外考えんじゃねえ!

 

死んだ生き物は土に還るだけなんだよ!

 

悔しくても泣くんじゃねえ!

 

どんなに惨めでも恥ずかしくても

 

生きていかなきゃなんねえんだぞ!

 

 

こっち来い!修行するぞ!

 

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この

 

「こっち来い!修行するぞ!」

 

で我慢していた涙が溢れてしまった。

 

 

今から修行したとしても、すぐに強くなれるわけでもなく、煉獄の仇を取れるわけでもない。

 

だが、何もしないよりは一歩前へ踏み出そうとした伊之助の言葉がすごく力強く感じた。

 

 

 

人間弱気になることはある。

 

ダメかもしれない。という感情に打ちひしがれることもある。

 

 

そんな時この言葉を思い出そう。

 

 

やる前から負けることを考えそうになったら。

 

 

「なれるかなれねえかなんてくだらねえこと言ってんじゃねえ!」

 

これだ!

 

 

 

ドラゴンボール以来コミックを読んだ。

 

やっぱり楽しいもんだ!

 

 

ありがとう鬼滅の刃

 

人生に数多く訪れる選択!その選択に迷わなくなるすごい考え方があった!

優柔不断。

 

 

どっちにしようか?

 

 

コンビニで買う物の迷いという小さな選択から

仕事や結婚など人生を左右する大きな決断まで、人間は常に選択をしながら人生を生きる。

 

 

そして、決断をした後人間は、

 

”もしこっちを選んでいたら”

”もしこうしていれば”

 

という、後悔をする考えがおこる。

 

 

中国の哲学者「荘子」は

”すべてのものは等しく同じである”

と言っている。

 

すべてのものは例外なく「無」から生まれているという。

 

確かにその通りで、落ち込まない方法として

「そもそも人間は裸で何もない状態で生まれてきている。何かを失っても、それを得ていた状態はラッキーだと思うこと。」

という人もいる。

 

 

 

さらに荘子はこのようにも言っている。

 

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良いことと悪いことは表裏一体で、分けることはできない。

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つまり、良いことも悪いことも本当はなく、人間が勝手に

“いい” “悪い”

を決めているのだ。

 

選択肢に

“いい” “悪い”はないということだ。

 

 

こんな話がある

 

ある猿が食べられる1日の餌の数は7つであったとして、

朝3つ 夜4つ で怒り、

朝4つ 夜3つ の方が先に多くの餌を食べられうから喜んだという。

 

1日に食べられる餌は同じなのに、目先の多い少ないを「喜び・怒る」猿の姿。

 

これこそ、目の前の選択肢がいいのか悪いのかで一喜一憂する人間の姿だという。

 

 

荘子のこの言葉を聞いて

カールスモーキー石井も良いことを言っている

 

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浅はかな損得勘定で人間というのはできているんだろうな

 

人生の半分くらいは損得勘定で生きているんだと思う

 

物事を損得勘定で考え始めたときに迷いは始まるんでしょうね

 

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そして最後の締めくくりにこの言葉である

 

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分別によって人は惑わされる

 

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分別=分析・損得勘定

 

と考えるとわかりやすいだろう。

 

 

分析をして良し悪しを分けることが迷いの原因だという。

 

 

良し悪しに差などないのに、人間は凝り固まった浅はかな考えで無駄な選択肢を作り、

無駄な迷いをすることになっているということなのだ。

 

 

今回のコロナウィルス騒動も荘子の考えで乗り越えられる!

 

選択に良い悪いなんてないと考えれば、人生が自由になる!

 

迷いも後悔もなく適当に楽しく生きていこう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親友の作り方のヒントをアリストテレスが教えてくれた!友人と親友の違いまでも!

友人と親友の違いは何か?

 

一度は考えたことがある課題だろう。

 

 

アリストテレス

人と人とを結びつけるものとして

 

友愛について考えたという。

 

 

そして、下記のように友達は3つにカテゴライズされると言っている。

 

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1:役に立つから付き合う関係

例えば、ものを貸してくれたり、女の子を紹介してくれるから付き合っている友情関係。

 

2:心地よいから付き合う関係

メリットはないけどなんとなく一緒にいると楽しく心地いいから繋がる友情関係。

 

3:相手の幸せを願う関係

相手の幸せをまるで自分のことのように喜ぶ友情関係。

 

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この分類は考えさせられる。

 

一つだけではないこともあるだろう。

 

全てをどこかの分類に綺麗に分けることも難しいだろう。

 

アリストテレスは相手の幸せを願う関係が親友と考えたそうだ。

 

そして、親友の作り方を次のように言っている。

 

 

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苦楽を共にして一緒に過ごす時間を作らなければならない

 

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やはり、古代の哲学者も時間という軸は考えの中で重要なのだ。

 

時間を共にしても親友ができない場合は自分自身を

 

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程よい人間になること

 

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と言っている。

 

 

程よい人になるのは難しいが、わかりやすくいうと

 

飾らないこと

 

なんだと解釈をした。

 

 

どの時代も等身大の自分をそのままで生きている人は自然と周りに人が集まってくるのだと思う。

 

 

人生80年なんてストロボの瞬きのように一瞬なんだから、

飾らずそのまま生きていた方が楽しい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の哲学者“三木清”が教えてくれた!コロナ禍の絶望から希望を見つける方法!

新型コロナウィルス感染拡大。

 

 

2020年全世界の生活が変わった。

 

 

これまでの生活が完全に戻る日がくるのかどうかは誰にもわからない。

 

もう二度と戻らない可能性もある。

 

 

ただ、この絶望から希望を生み出す方法を日本の哲学者

 

三木清

 

が教えてくれている。

 

 

この哲学者は治安維持法で二度の逮捕されたという。

 

二度目の逮捕の獄中で病に苦しみベットから転げ落ちて死亡した。

 

享年48歳。

 

 

そんな彼が絶望の中から希望を見つける方法をこのように語っている

 

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偽りの幸福を捨て

 

本当の幸福を大切にする

 

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成功=幸福

 

と考えがちな人も多いだろう。

 

 

例えば、地位・お金・名誉があれば幸せになれると思い、

そこにしがみ続けると、仮にそれを失った時に軌道修正ができない状況に陥ってしまうということだ。

 

本当の幸福を見失うということだ。

 

 

 

さらにこのようにも言っている

 

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断念することを欲しない物は

 

真の希望を持つこともできぬ

 

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人は絶望をした時に、何かを断念することはそう簡単にはできない。

 

例えば、今回のコロナで色々なものを失った人も多いだろう。

 

飲食店や旅行業界は今でも絶望の淵だ。

 

 

そこで、どうしたら今までのこだわりを断念できるのか。

 

それをこのように言っている。

 

 

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絶対だと思いこんでいる価値観を

 

疑ってみるべきだ

 

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疑うことで、断念ができる。

 

例えば、

 

お金ってそんなに欲しいのか?

 

名誉ってそんなに大切なものか?

 

それは一時的なものではないか?

 

などを疑って、そのこだわりを捨てていくことで、

自分が本当に大切にしているものが見えてくるというのだ。

 

 

最後まで執筆をやめなかった三木清は最後にこのようにも言っている

 

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真の希望は絶望から生じる

 

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絶望は自分を見つめ直すチャンスとも言える。

 

絶望は自分の芯を見つけられるチャンスなのだ。

 

 

 

本当に今回の新型コロナウィルスは改めて全人類が自分の足元を見つめ直す

良い機会を与えてくれたのかもしれない。

 

 

自分が最後まで断念できないものを見つけられたら、今回のコロナ禍なんて大したことではないはずだ。

 

 

でもやっぱりライブハウスで大声を出したい!