山本太郎といえば、天才・たけしの元気が出るテレビで一気に人気キャラクターとなった「メロリンキュー」でもある。
俳優業へいったいりしながら芸能界を続けていだが、それほど意識したことはなかったですね。
一回六本木のラーメン屋で女性といるところを目撃したことはあったが、確かに芸能人のオーラを感じたのを覚えてる。
そんななか、2011年に東日本大震災が起こり、原発問題が出てくるなかでの2013年参議院選挙で山本太郎が立候補していた。
さすが、芸能人だし口は達者だなあぐらいの感覚で見ていたが、そんな感覚を軽くふきとばす「本気」を感じた渋谷ハチ公前での演説があった。
その内容がこちら
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マスコミは命にかかわることは僕たちに伝えてくれるはずだって。
安全っていう立場だけじゃなく、危険という立場を僕たちに知らせてくれるよな。
そんな淡い期待を持っていた。
科学的に安全という専門家もいれば、科学的に危険という専門家もいる。
だったら両方僕たちに示して、それを精査するのは僕たちじゃないですか。
でも実際に流れた報道はどうだったか、大本営垂れ流しだったんです。
僕たち今「食べて応援」ってされているんです。広告代理店が耳心地のいいキャッチ作って食べて応援。
絆だって。
するべき保障賠償は東電・国なんですよ。
消費者が肩代わりする保障賠償なんてあってたまるかって話なんです。
事故を起こしているのはだれだ!
安全性が確かでないもの。無理やり地震の活動期のこの国で動かしてきた電力会社。そしてそれを後押しした国じゃないですか。
直ちに影響はないです。食べて応援してください。
その先に待ってる未来どんな未来なんだよ。
子供たちにどんなリスク背をわせるんだよ!
大人と比べて子供たち3倍から10倍放射性に対して影響がある。
子供たちに対してそれだけのリスクを背をわせる。
この国が与えた食品の安全基準を聞いてほしい。
今信号待ってるあなたに聞いてほしい。
めんどくさいと思っているあなたに聞いてほしい。
この国の安全基準だけでも。
食品の安全基準。
1キロあたり100ベクレル。よくわからない。
でも、それと同等のとんでもない数値があるんです。
「原発の敷地内から出る低レベル放射性廃棄物」
黄色いドラム缶の中に入れて管理されなければならないもの。
それが1キロ当たり100ベクレル。
この国は、国民に対して、この国に住む人々に対して、放射性廃棄物と同等の数値を安全だって言って与えてるんです。
狂ってないですか。
その餌食に会うのは。健康被害にあうのは誰なんだよ!
何が美しい国だよ。何が強い国だよ!
取り戻す取り戻すって、取り戻したのはお前たちの利権だろ!
何のために国会に行ったんだ。どうしてこのことに対して、この数値に対して国会でもっと国会議員は戦わないんだよ。
確かに心ある政治家はいる。戦ってくれた政治家もいるだろう。でも予算が通せないくらい、国会の審議が前に進まない。そういうような話にならなかったですよね。
マスコミが握りつぶせないくらい大きな騒ぎに国会議員はしたのかって。
誰に選ばれたんだよ!
誰の命守るために国会いってんだよ!
今あんたがしているのは自分の政党守ることなんじゃないか。
自分の利害関係のある企業を守ろうとしてるんじゃないか。
仕事として、職業としてその議席を守ろうとしているんじゃないか。
もっと戦えよ!
東京の5議席。この五つの座布団を絶対に奪いにいかなければいけないんです。
絶対に落とすぞ!民主党の鈴木寛!
子供たちに年間1ミリだった被ばく限度を、20ミリまで引き上げてOKだといった男。
そしてそれに対して戦わなかった男。
森裕子は戦ったぞ。
全国のお母さんたちと戦った。この数値は高すぎると。
年間一ミリに戻せって戦ったんだ!
でも鈴木寛は何をしたか。だんまりをきめこんだ。
おかしいじゃないか。
ばかにされてるんですよ。
2年前のこと皆覚えてないって。
子供たちに殺人的数値を与えた男が。今また立候補している。
絶対に許さない。
そして僕は言いたい。僕を本気にさせてくれたのは鈴木寛さんですって。
お礼が言いたいんですよ。
ありがとうございます!鈴木寛さん!
1議席完全無所属でいかせてください。
空気を読まないバカをつれていってください。
国会での茶番をぜんぶぶちまけたい!
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その当時、この言葉を聞いて胸が熱くなり、涙が出た。
どうしても政治家の演説は職業としての議席を取りたい感じが滲み出てしまう事が多く、ほとんど耳に入ってこない。入ってきたとしても少しおしゃべりが上手だなあくらいの感覚だ。
しかし、山本太郎は芸能人という部分を差し引いてもエネルギー、あとなによりも「本気」を感じたんだ。
もちろん間違っていることをいうこともあるだろう。
ただ、一番大切なのは、自分がやりたいこと、向きあいたいことに「真摯」であるかどうかだ。
それが伝わったんだ。
自分自身にも問いたい。
今目の前に起きていることに真摯に向き合っているか。
目の前の問題に本気で向き合っているか。
そのことに対して考え抜いたのか。
自分自身、中途半場に投げ出す時期も多々あった。
しかし、そんな自分を変えようと目の前のことから逃げないように意識してきた。
時には間違いはある。
ただ、そのあとになぜ間違ったのか、どうしたらよかったのかを考え抜ける人間でありたい。
そうじゃなかったら何のために生きているのかわからなくなる。
何が真実かわからなくなる。
心にモヤモヤがある時、立ち止まり、
「なぜ今こんな気持ちなのか」
「状況がこうだったらこんな気持ちにはならないのか」
そんな心の中の検証を続けるように心がけてきた。
これは、アリストテレスが提唱している産婆術というものに通じるらしいが、このことはまた今度詳しく触れようと思う。
ケイスケホンダも言ってたっけ・・
「プロフェッショナルとは、真摯であること」
と!