HIDE
X JAPAN といえばYOSHIKIという屋台骨が有名だが、それと同等に大きな役割を果たしていたのがHIDEだ。
作曲においても、YOSHIKIの作り出すクラッシック的なアプローチとはまた違う、骨太なロックなサウンドを展開するのが得意だ。
そんなHIDEがお茶の間への認知を広めたニュースが骨髄バンクへの登録だろう。
難病少女との出会いがきっかけでそのような動きになったようだが、その時の記者会見のメッセージが何度見ても涙が出てしまう。
それがこちら
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別に、普段から骨髄バンクのこと考えてた訳でもないし
そういう子がいるって事は なんかテレビの向こうの話ぐらいにしか思ってなかったから
自分たちの曲を聴いてるような子が身近で 単純にSOSって言ってて
それで、ボクが 自分が何ができるなんて思っちゃいないですよ
だけどなんか合う事で手握ったりする事できるでしょ
その時に 自分が考えたって事が
その子の手を握りに行くとか そういう簡単な事から出来たらいいなと
あんまり 深く考えてるっていうより 単純に行動したかったという
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ヒデが遺してくれたもの。
それは、自分が良いと思えた事。何か心が動いた時。
まずは一歩、「行動」をする事なのだ。
その行動が良かったか悪かったかは全く別の問題なのだ。
初めて、その難病少女にバックステージであったときも、HIDEの姿勢には非常に共感をした。
時に病気やハンデを背負った人に接する際には、
「体の調子は大丈夫?」
や
「わざわざごめんね。」
のような、相手を気遣う言葉が最初に思い浮かんでしまう。
しかし、HIDEは違った。
ヒデはこう言ったのだ。
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ダチだもんな。
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そう。その病気のことは全く抜きにして、友達の一人として接していたのだ。
その少女との文通の中でもこのように語っている。
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あの夜君と手を繋いでドームの中を同じ歩幅で歩いた
そして真由子が真剣に行きていることを知った
俺は今の自分を当たり前のように思っていたけど
真由子のおかげて10年前の自分を思い出し
もう一度初心にかえって頑張らなくちゃと
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少女が骨髄移植をした後、容体が急変し危険な状態になってしまった。
少女の母が、HIDEに連絡をし、
「今このような状態で、せめて声だけでも」
取った途端に
「今ボク行きますから」
と、言って駆けつけたという。
行動に勝るものはない。
HIDEが教えてくれた大切なことだ。
ありがとう!