ワイドナショーは好きな番組の一つだ。
そこに、こんな話題が取り上げられていた
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福田は今月上旬、自身のツイッターで
「この数週間で容姿ネタに関してじっくり考える機会が何度かあって、私達は容姿に言及するネタを捨てることにしました!」
と宣言
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その発言の背景には、こんな思いがあったという
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「容姿ネタってどんどんウケなくなってるなと劇場でも肌で感じてた。
ブスとかデブとかはっきり言っちゃうと前はウケてたけど今はあんまりウケなくなってるのを感じてて。
3人ともめちゃくちゃいじられたいタイプ。
なんなら私の顔を例えるネタを見つけたと思っていたのと裏腹にどんどんウケなくなってると感じてた」
「これで誰かが傷ついたりするかもと心配しながらネタを披露するってなんやねんと思って。
時代の流れで大衆的なお笑いではなくなってしまってるのかなと」
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松本や兼親も色々な意見を言っていたが、本質は
なんか叩かれるのが嫌だ
という人間としての本質の部分なのだと思う。
インターネット・SNSという情報社会の中で人は敏感な心を持たざるおえなくなったとも言える。
対面で言葉を交わすより、メールでの文字のやりとりが多くを占めるようになった。
表情や言葉の艶が見えない分、送り手は文章の書き方に気をつけ、受け取る側はその言葉に敏感に反応するようになる。
若年層は、対面でのいじめがなくなり、LINEなどSNSを絡めたより陰湿ないじめへと移行している。
無機質な情報から有機的なものを想像する必要があり、
想像したものは実在よりも肥大化する。
心が疲れて当たり前なのだ。
SNSの普及により一般人の声が、ボタン一つで今までは雲の上の存在だった芸能人に直接言葉を届けられるようになった。
「バズる」
という言葉がある。
「承認欲求」
という言葉がある。
この二つを同時に満たせる可能性があるものが
芸能人を批判すること
なのだと思う。
と考えると、叩いている人たちは、本気でその言葉を発しているのではなく、
どのような言葉だと社会が反応してくれるかを第一に考えた上で発している言葉ともいえる。
ここでも同様に無機質ゆえに本質との乖離が生まれてしまっている。
芸能記者やネット記者は、ネタ探しはSNSがメインの時代なのだからなおさらだ。
少し前に
「日本死ね」
という言葉が広く知れ渡った。
これももとはSNSネタだ。
現代を生きる人達は、コロナという目に見えぬ敵との戦いに疲弊し、本能的に人との関わりを求めているのかもしれない。
海に向かって思いっきり叫びたい!
パラオの海に潜りたい!