rthef’s blog

日々生活していく中で「心が揺れた」瞬間を文字にしています。

映画“許された子どもたち”から感じるイジメ問題の難しさ!

ひょんなことから、映画

 

“許された子どもたち”

 

をDVDで鑑賞した。

 

 

 

あらすじは下記になる

 

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とある地方都市。
中学一年生で不良少年グループのリーダー市川絆星(いちかわ・きら)は、同級生の倉持樹(くらもち・いつき)を日常的にいじめていた。

いじめはエスカレートしていき、絆星は樹を殺してしまう。
警察に犯行を自供する絆星だったが、息子の無罪を信じる母親の真理(まり)の説得によって否認に転じ、そして少年審判は無罪に相当する「不処分」を決定する。

絆星は自由を得るが、決定に対し世間から激しいバッシングが巻き起こる。

そんな中、樹の家族は民事訴訟により、絆星ら不良少年グループの罪を問うことを決意する。

果たして、罪を犯したにも関わらず許されてしまった子どもはその罪をどう受け止め、生きていくのか。大人は罪を許された子どもと、どう向き合うのか。

 

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この映画の元となった事件は

 

・山形マット死事件

川崎市中1男子生徒殺害事件

 

などの少年が関わった死亡事件だ。

 

 

川崎の事件は記憶に新しいところだろう。

 

 

この映画でもそうだが、傷害致死事件を起こすか加害者にかけている共通することは、

 

「人の気持ちを考える力の欠乏」

 

なのだと思う。

 

 

自分が一番大切。

 

 

その気持ちが大きく、他人への配慮が欠けてしまうのだ。

 

ゆえに、よくある不良漫画でも悪役のリーダー格は徐々に仲間を失い、孤独になるケースが多い。

 

 

偽りの強さは、逆に言えば自分の弱さをその虚勢によって隠そうとしているとも捉えられる。

 

 

 

人の気持ちを考える。

 

 

簡単そうで難しことだ。

 

 

大人になった今でも、本当に人の気持ちを考えられているかは疑問だ。

 

 

ただ、人の気持ちをわかろうとする気持ちがあれば、人を簡単に傷つけるようなことはないのだと信じたい。

 

 

他人への配慮が欠けると、とても恐ろしいことが連鎖的に起こる。

 

それは、

 

 

「自分が相手にしたことの罪の重さにも気づかない。」

 

 

これが一番問題なのだ。

 

 

映画の中でも、同級生を殺してしまったことの重大さを捉えられていない言動が多く見られる。

 

 

心が成長できていないのだ。

 

 

戸塚ヨットスクールの戸塚校長も言っていた。

 

 

心の成長は小学生までで決まる。

 

と。

 

 

 

 

イジメ問題は永遠テーマだ。

なぜならイジメはなくすことは不可能なのだ。

 

 

イジメる側

イジメられる側

 

どっちが悪いか論争も答えがないのでこれも永遠だ。

 

 

 

ただ、昔よくいた不良がいなくなったということを考えると、

イジメというものがなくなる日もくるのかもしれない。