8月下旬。
YoutubeアカウントがBANされた。
BANされた理由は簡単だ。著作権違反だ。
昔のテレビ番組を切り取ってアップしていればそりゃ当たり前のことだ。
BANはされたが、6月中旬から実験的に行ったチャンネルだったので、それほど深い思い入れがあったわけでも無い。
チャンネルを始めた目的としては、Youtubeチャンネルの全体的な運営の概要や、アナリティクスの分析機能の詳細を確かめたかったのだ。
あとは、運営している中で、どのようなタイミングで再生回数が伸びるか、どのようなタイミングでチャンネル登録者数が伸びるのかをテストしたかった。
始めは週一回程度の動画投稿で気長に運営をしようと思っていた。
しかし、再生回数が徐々に伸び、チャンネル登録者数も伸びてくるとコメントも付いてくる。
コメントに返信を続けているとなんだか急に多くの共感してくれる友人が増えたような錯覚に陥っていた。
実際の人間と文字で通じ合っていれば錯覚ではないのかもしれないが。
週一回の動画投稿が、いつの間にか毎日投稿に変わっていた。
そこで、伸びる動画もあれば、全く伸びない動画もある。
そこで不思議な感覚に陥った。
伸びない動画があった時、なんだか自分を否定されたような。何かに失敗したかのような。
若干の落ち込んだ気分になった。
再生回数や登録者を伸ばす目的もひとつあるとするならば、そのような気持ちは自然なのかもしれない。
しかし、何か得体のしれないものに囚われている変な感覚があった。
動画の再生回数とコメントのチェック回数は日々増えていった。
LINEのチェックなんか二の次となっていた。
そんな中、著作権の違反警告を2回受けた。
3回受けると無条件でアカウント削除となることを初めて知った。
それから1週間後、3回目の警告を受けてアカウントが削除された。
その時の気分は何か大きなものを失ったかのような。
心に虚無感のような。ポッカリ穴の空いたような。
とても不思議な感覚になった。
登録者数は800人程度だったが、800人の友達を一瞬で失ったようなそんな気分だった。
良くも悪くも「瞬発力の大きさ」。
これが、今まで人類が味わったことのないSNS情報社会の怖さなのかもしれない。
昨今、SNSの反響の影響で命を絶つニュースがあいつでいる。
人の作った動画をアップしていた自分でさえこのような気持ちになるということは、名前や顔を晒している芸能人にとって、SNSからの情報は殺人的だ。
人類が現代の殺人的な情報量への免疫が着くまでにはまだしばらく時間が必要なのかもしれない。
木村 花(きむら はな、1997年〈平成9年〉9月3日 - 2020年〈令和2年〉5月23日)
三浦 春馬(みうら はるま、1990年〈平成2年〉4月5日[3] - 2020年〈令和2年〉7月18日)
心よりご冥福をお祈り申し上げます。