まさかこの時、この絵本を読むことで、あの志村けんが生き返るとは思わなかった。
連日、「ドリフ大爆笑」「8時だよ全員集合」のコント映像と共に、志村けんの追悼番組が放送される中で、ゲストが口々に
「まだ生きているよう」
のようなコメントをして死を惜しんでいた。
そんな喪失感の中、ひょんなことから絵本を買うことになり、本屋へ向かった。
そこで目にしたのは、「もしものせかい」という絵本だった。
子供向けの本だから、「もし〜してたらこうなってた」のようなファンタジックなものだろうな〜 くらいの軽い感じでしかいなかった。
だが、読んでる途中、その世界観に自然と涙が出てきた。
その内容がこちら
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もしものせかい
もしも
あれがうまくいってたら
もしも
あちらをえらんでいたら
もしも
あのひとがそばにいたら
もしもー
もしものせかいは、
きみがくらしている
いつものせかいではなく、
きみにこころのなかにある
もうひとつのせかいだよ
どんなものでも どんなことでも
どんな人でも どんなきもちも
きえてなくなったりしない
いつものせかいから
もしものせかいに
あるばしょが、いるばしょが
かわるだけなんだ
もしものせかいは
てでさわることはできないけれど
きみのなかにちゃんとある
もうひとつのみらいとして
いつまでもきみといっしょにいる
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涙が出てしまう。
「もうひとつのみらいとして
いつまでもきみといっしょにいる」
「もしも、志村けんが生きていたら」
ここで、はっとした。
「志村は死なないの。ずっと生きてるの。」
そうなのだ、志村けんが生きている世界は違う未来として存在しているのだ。
死なないのだ。
かっこよすぎるぜ!
人の死というのは悲しみという大きな壁が前に立ちはだかっている状態でもあると思う。そんな人生の壁の乗り越え方を、過去の偉大な哲学者は答えを出している。
その内容の過去記事はこちらから参照してほしい。